Home > 単行本 > 東南アジアの三輪車 立ち読み


前川健一
東南アジアの三輪車
定価:本体価格1700円+税
(税込価格1836円)














解説
旅行人の本
季刊『旅行人』


購入画面へ
購入方法



プロローグ

 1973年。インド、アグラ。
 夕日が沈んでしまいそうな時刻だった。
 気ままに街を歩き続けて半日、いつしか宿からかなり遠いところまで来てしまっていた。地図など持たぬ散歩だから、宿までどう歩いて戻ればいいのかよくわからないが、だいたいの方向は見当がつく。腹がへり、のどが渇き、足もかなりくたびれていた。
 そろそろ宿に戻らないと、この先苦労することになりそうだ。街はずれに街灯などあまりなく、道に迷うかもしれないとやや心配になってきた。21歳だった。初めての外国旅行で、最初の滞在地インドに着いてまだ10日もたっていなかった。
 ベルの音がした。
 振りかえると、背後にリキシャが寄ってきた。自転車に座席をつけた三輪の乗り物を「リキシャ」と呼ぶのだと、どこでどうやって知ったのかまったく覚えて いない。当時はまだガイドブックなどない時代だったので、本で知ったのではなく、リキシャの運転手が「リキシャ!」と言って客引きをしているのを見て、そ の乗り物が「リキシャ」と呼ばれていると知ったのだろう。
 リキシャは、「人力車」という日本語と深い関係がありそうだ。人力車は自転車で引くものではないが、座席の形などからして、日本人である私は、どうしても人力車との深い関係を想像したくなった。
 私の横に来たリキシャが、どんな言葉をかけてきたか覚えてないが、とにかく売り込みだった。疲れているとはいえ、歩ける足がある。リキシャに乗るようなぜいたくはとうてい許されない貧しい旅ではあるが、どうしてもこの乗り物に乗ってみたくなった。
 夕暮れは、人を不安にさせる。もしも宿に戻れなかったらどうしようという心細さと、珍しい乗り物に一度は乗ってみたいという好奇心が貧乏旅行と戦い、心細さと好奇心が勝った。
 私は宿の名をリキシャ引きに告げた。
「アッチャ」
 リキシャ引きは、頭を横に傾けた。インドで「イエス」のジェスチャーだ。
「いくら?」
「いくらでも、お好きな額で」
「だから、いくら?」
「お客様におまかせします」
 まだインドに慣れていない私にも、その言葉をそのまま信じる気はなかったが、リキシャ引きはけっして料金を告げなかった。
「それじゃ、1ルピー」
「いや、それでは……」
「じゃあ、いくら?」
「お好きな金額でけっこうです」
 そんな、わけのわからない交渉を気長に続け、なんとか料金を決めた。
 乗り心地は、思ったほど良くはなかった。荒れた路面のようすが、尻と背中に伝わってきた。リキシャ引きは半ズボンに、穴がいくつもあいている木綿の半袖 シャツを着ていた。足は、細く長く、キリンの足のようだった。ひとりの男が、私のために汗を流し、息を荒げている。自分が少しエラクなったような気がし て、だからかえって恥かしかった。誰かが注目しているというわけはないのだが、少し気恥かしかった。リキシャ引きはまだ30代だったが、大の男がカネのた めとはいえ外国人のガキを乗せて走っている光景を、客である私自身がどこかから眺めているような気分だった。
 道がやや上り坂にさしかかると、リキシャ引きは車を降り、左手をハンドルに、右腕をサドルに回し、ゆっくりとリキシャを引いて歩きはじめた。
 ゆるやかな坂を登りきったところで、「ストップ」と声をかけた。私はリキシャを降り、リキシャ引きに座席を指さした。
「交替だ。今度はボクが漕ぐ。いいよね?」
 リキシャ引きはニヤニヤしながら、ゆっくり座席に腰をおろした。変なヤツだと思ったことだろう。
 リキシャでなくても、他人が長年乗り続けた自転車は、まずサドルの具合がおかしいものだ。尻の座り具合が悪いのだ。布を巻いたサドルがえらく堅く、股間に突き刺さるようだ。建築現場で使う足場パイプにまたいで座っているようなものだ。
 右足に力を込めて第一歩を進もうとしたが、全体重をのせてやっと少し動くというくらい車体が重い。平坦な道でも、漕ぐのはこれほどつらいのだ。サドルが 高いと言うべきか、ペダルが低いと言うべきか、はっきり言えば私の足が短いのだが、右ペダルが上にくると、左ペダルに足が届かない。私の足が平均的日本人 のレベルでも短いのはたしかだが、キリンの足を持つリキシャ引きでも、尻を左右に振らないと、つねに足をペダルにつけておくことができない。競歩の選手の ように、たえず腰を動かしていないと、うまく漕げない。
 ハンドルも重かった。ハンドルを右に切ろうとしてもなかなか切れず、力を入れて右に切ると、今度は左に戻すのがひと苦労なのである。リキシャはしだいに 道路の右側に寄って行き、道路から落ちてしまいそうになってブレーキをかけると、そのブレーキも大甘だった。前方に、自動車のライトが見えた。
 ダメだ。あぶない。このままリキシャを漕ぎ続けたら、我々ふたりはきっと死ぬ。あわててリキシャを降り、運転をかわってもらった。

 この旅を終えて日本に戻ったあとも、頭は旅を続けていた。インドの食文化のこと、布のこと、音楽のこと、そしてリキシャの歴史も知りたかった。人力車とリキシャの関係が知りたかったのだが、日本では資料らしきものが見つからなかった。
 1980年ころだったか、神田の本屋で『人力車』(齊藤俊彦)という本を手に入れた。この本の最後のところに、リキシャの話が少し出ているから買う気に なったのだが、読み始めてみると、これがおもしろい。人力車についてほんの少しわかればいいと思っていたのだが、人力車について深く知っておかないと、ア ジアの都市交通がよくわからないのだと気がついた。人力車は、日本独自の、日本だけの乗り物だと思い込んでいた私の無知を、バッサリと斬り割いた。
 まず、人力車のことを調べ、そのあと三輪車になった人力車の子供たちの姿を、旅のなかで追ってみようと思った。三輪車を眺め、乗り、考え、資料を探して読み、ノートにメモしているうちに、いつしか長い年月が流れてしまった。
 そろそろ、メモをまとめてみよう。まずは、三輪車の親にあたる人力車の話から。