旅行人ノート5
アジア横断
定価:本体価格1800円+税
(税込価格1944円)






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旅行人の本
ガイドブック
季刊『旅行人』
アジア横断旅行情報
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アジアをわたる旅へ 蔵前仁一

●ユーラシア大陸を横断してアジアを渡る

  長い旅ができるとしたら、一度やってみたいと思う旅、それがアジアを横断するこのコースではないだろうか。日本からバンコクへ飛んで、インド、パキスタ ン、イランを西へ。最終地点はアジアの西の果てイスタンブール。日の出ずる極東の日本から、東南アジアを越え、インド大陸を横切り、西アジアの砂漠を横断 して、西の果ての国トルコのイスタンブールへと到達する長いコースである。
 それはまた、この旅で通り過ぎていくこれらの地域の言葉、宗教、服装、食べ物などなどあらゆるものが、さまざまに変化していくのを見る旅でもある。陸路のおもしろさは、ここに尽きる。
 旅行者は、国が変わるたびに入国審査を受け、国境線をまたいで次の国へ入る。通貨が変わり、時間が違い、言葉が変わる。例えば飛行機で日本から直接やってくると、日本との違いを劇的に味わうことになり、何もかもが日本とは違っているような気がするものだ。
 もちろん様々な点で異なっていると感じることは当然なのだが、陸路の旅ではどのようにそれが変わっていくのか、その経過を見ることができる。その変化は 時によって劇的でもあり、ゆるやかでもありながら、どこかで連綿とつながっていることを感じられるのだ。国が異なっても、国境線付近の人々の言葉はどこか 似通っているものだし、食べているものにもやはり共通点がある。通貨の名前や文字の表記方法などは、後から比較的簡単に変えられるので、国境線を越えると すっかり変わってしまうこともあるが、他のものは程度の差こそあれ、墨絵のようにじんわりと、ぼんやりと変化していくものである。

●ヒッピー・ロード

  このインド経由のアジア横断コースは、おそらく1950年代から欧米の旅行者たちが渡り歩いた道であった。“ヒッピー・ロード”という別名で呼ばれ、ヨー ロッパから旅行者が陸路でインド方面へ向けてアジアへやってきていた。当時1960年代はまだソ連のアフガニスタン進駐以前で、カブールはカトマンズと並 んで“ヒッピーの聖地”と呼ばれていたという。
 こういった旅行者たちを何人か集めてバスに詰め込み、何日もかけてヒッピー・ロードを走るバス・ツアーもあった。マジック・バスという怪しい名前のその バスは、欧米人旅行者には結構人気があったという。ロンドンを出発してカトマンズへ行く、そのマジック・バスがどのように生まれたのか、『街道のブライア ンまたはマジックバスの話』(黒田礼二・ちくま書房)は次にように記している。
「1950年代も終わりになって、肝っ玉のサイズは人並以上、財布のサイズはそれに反比例する若者達が、とてつもないアイデアをひねり出したものです。競 売で中古バスを安く買い込み、それをころがしてはるか東の果て、アフガニスタンかネパールで売り払えば、けっこう金になる。おまけに、乗客をつかまえられ たら、その運賃は丸もうけ。そればかりか東行の道中、これにまさる物見遊山、冒険のかけら(1950年代の街道は、まだ危険と未知に満ち満ちていました) はない。これぞひとつの石もて三匹の兎を同時に打つようなもの。それ行け、といったわけで、マジックバスは産声をあげました。」
 マジック・バスがこの逆ルート、つまりカトマンズからヨーロッパへ向けて出発していたのを、1984、5年頃僕はカトマンズで見かけたことがあるが、そ れが今も続いているのかはわからない。矢作俊彦・大友克洋の『気分はもう戦争』(双葉社)にもこのマジック・バスが登場してくる。
 最近ヨーロッパでは、“なつかしの”か“ミステリアスな”かはわからないが、このヒッピー・ロードをたどるパック・ツアーまでできているようで、ご老体 を抱えた団体客が安宿に体験宿泊していることもある。本当は、団体で安宿なんかに泊まられると、予約をしていない個人旅行者は困るのであるが(笑)。

●日本人のアジア横断記

  戦後の旅行記で、まずアジア横断記をヒットさせたのは、あの『何でも見てやろう』(講談社文庫)の小田実である。1950年、小田実はアメリカを出発、 ヨーロッパを経由してアジアへと向かってくる。1970年、『全東洋街道』(角川文庫)の藤原新也もまたカメラを手にイスタンブールからインドを経由して 日本へ渡り、1972年、沢木耕太郎は日本から香港へ飛び、ヒッピー・ロードをなぞってポルトガルへたどり着いた。その『深夜特急』(新潮文庫)のルート を真似た猿岩石の企画旅行も結果的にヒッピー・ロードと重なることになる。
 1989年から1年かけて、僕も同じようなヒッピー・ロードを通ってイスタンブールへたどり着き『旅で眠りたい』(新潮社)を書いたが、最近の旅行者は アジアから西へ向かうコースが圧倒的に多いようだ。日本人旅行者を描いた小林紀晴の『ASIAN JAPANESE』(情報センター出版局)も、やはりこのヒッピー・ロードを踏襲している。
 沢木耕太郎の『深夜特急』以前は、ヨーロッパからアジアと東へ進む旅行者が多かったといわれている。欧米人旅行者は当然のことだが、日本人旅行者も“東 進組”が多かったのだ。何故かといえば、以前はアメリカやヨーロッパで働いて旅行資金を蓄える旅行者が多かったからである。例えばアメリカで働いて南米へ 流れる旅行者もいれば、ヨーロッパで働いてアフリカやアジアへやってくる旅行者もいた。日本がまだ、旅行に十分な金を稼げるほど豊かではなかった時代のこ とである。

●アジア横断ルート

  やがて、アジアを旅する日本人が増えるにしたがって、日本から西へ進む旅行者が主流になった。最近の横断ルートはさまざまなバリエーションがあり、必ずし もヒッピー・ロードを踏襲する必要はないが、最も一般的なルートは、やはりヒッピー・ロードである。日本から香港、バンコクなどを経由してインドから西へ 進み、パキスタン、イランを抜けてトルコへいたる道だ。次のページに横断ルートの地図を掲載したので見ていただきたいが、(1)バンコクルートがそれにあ たる。ただし、現在のところアフガニスタンには立ち入れない。ときどき南部の国境を開けることもあるが、そのタイミングは極めて流動的で、しかもやはり危 険である。
 最近では、安く中国に行けることで人気が高い鑑真号で日本を出発して、中国からパキスタンまたはネパールへ南下する旅行者も増えている。地図上の(2) から(5)までのルートがそれだ。(3)〜(5)のルートだと一度も飛行機を使わずにアジアを横断することができる。(2)の成都、ラサルート、及び (3)のゴルムド、ラサルートはチベットを通ってネパールへ抜け、そこからインドへ南下して(1)のバンコクルートに合流する。成都からチベットへは陸路 ではなくて空路なので、あくまで陸路にこだわる人は(3)のゴルムドルートの方がおすすめである。
 最近では中国・雲南省からインドシナ半島のラオスへ入ることもできるようになっているので、船で中国へ行き、ラオスへ抜けてタイへ入り、(1)のバンコ ク・ルートに合流することも可能である。ただし、この地域の出入国は極めて流動的で、国境の町でラオスのビザが取れたり、または空路でしか入れなかったり するので、ここも直前に状況を確認する必要があるだろう。1998年1月現在では空路のみの入国しか許されていない。
 (4)のカシュガル・ルートは、中国からフンジュラーブ峠を越えてパキスタンへ抜けるルートだ。中国の新疆ウイグル自治区を走る天山南路を通るルートも加わって、シルクロードの気分をたっぷりと味わうことができる。パキスタンからは(1)のルートに合流する。
 (5)の中央アジアルートは最近ようやく通れるようになった新しいコースである。中国のウルムチからカザフスタンへ入り、中央アジアの国々をめぐる旅と なる。トルクメニスタンからイランへ抜けて、そこで(1)のルートに合流するか、カスピ海を船で渡りアゼルバイジャン、グルジアを通ってトルコへ抜けるこ とができる。中央アジアの情報はまだ少なく、物価が比較的高いのが難点だが、他では決して味わうことのできないアジア横断の旅になることだろう。初めての 旅でこのルートを考えている人は、事前に情報を十分に仕入れておくことをおすすめする(が、日本では簡単には入手できないのだ、これが)。
 もっとも中国を通ると、沢木耕太郎の『深夜特急』ルートからは外れることになるが、その中国では長距離バスもどしどし走っているので、逆に“バスだけでヨーロッパへ行く”という趣旨が達成できるかもしれない。
 本書では第一の中継地として、利用しやすいバンコクを取り上げた。ここはこれからアジアを横断する旅行者、あるいは西から横断してきた旅行者たちがよく集まってくるところでもあり、横断前のウォーミングアップをするのによいところだと思う。
 暇と金があれば、横断する前にベトナムやラオス、カンボジアといったインドシナ半島の国々をまわったり、マレー半島を南下してシンガポール、インドネシ アへ行くための基地にもなる。もちろん、インドへ直接行かずに、ミャンマー(ビルマ)やバングラデシュへ立ち寄ることもできる。バンコクは、こういった東 南アジアの旅の基地として便利なところなのである。